偽エリツィンという言葉が頭から離れない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は偽エリツィンという言葉が頭から離れません。
手紙とかって「最初に自分の近況の後相手の近況をたずねる」と「相手を気遣ってから自分について述べる」の二種類があると気付いたので二つを合併してしつこく自己アピールしてみた結果です。うん。
川上弘美の本はずっと読んでると生クリームをがつがつと食した後のような気分の悪さに襲われます。だから長編が読めない。エッセイは何冊でもいけるのだけれど。
どこから行っても遠い町、はなんか読み覚えがあるなあと思ったらyomyomで連載されていたんですね。道理で。
1・主人公の独白がひたすら続く
2・その合間に物語の引用が無関係に挟まれている
3・主人公の周りの人の描写が生まれる
4・合間に語られていた物語を書いた作者のインタビューの引用が無関係に挟まれている
そんな感じの構想で何かを作り始めました。
あるべき形も決めていないものを作るという不安定さ。これからどうなるのかが不安です。
「主人公達の物語」と「語られる物語」の二つを考えなければならないという面倒臭さが何とも好き。資料の膨大さに比べ無駄の何と多い事か。
似非。
いや、特に意味はないです。はい。ごめんなさい。
最近は時間が過ぎるのが異常にゆっくりな気がします。まあ、いつもの事ですが。
というか今思ったのですが私が「もうこんな時間?」と思った事って寝坊以外にあったでしょうか。
いや、あるか。思い付かないだけか。まあそんなもんだよね。うん。
それでは、偽エリツィンという言葉も頭から離れない事ですので、本日はこの辺りで失礼させて頂きます。
皆様のご健康と、私のように偽エリツィンという言葉が頭から離れないような事にならない事をお祈りしております。
(そういえば末尾で自分の状況を語るのも可能だなと思ったのでしつこいくらい偽エリツィンと言ってみる偽エリツィン似非エリツィン嘘エリツィン)
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